松くい虫
松くい虫は、カミキリ虫に潜んでる線虫ことで、マツ材線虫病と言います。
松の木をかみかみする、カミキリ虫の中にいて、松の木に忍び込み松を枯らします。
マツ材線虫は線形の長さ1oも満たなくて、肉眼では見えません。
マツノマダラカミキリというカミキリ虫によって松に運ばれ松を枯らします。
松くい虫に侵された松の症状
8月から10月に枯れ始めます。
枯れてきているのは葉の変色によって診断できます。
枯れ始めた時期によって変色の仕方が違うのですが。
8月から枯れ始めた松の葉は、赤褐色になります。
11月頃から枯れ始めた松の葉は、黄褐色になります。
そして、木全体が枯れます。
幹を傷つけたり枝を折っても、松脂がまったく出てきません。
これが、特徴です。
松くい虫の被害の始まり。
松くい虫の被害は古文書などには、全く記されていません。
松は日本の文化を支えてきた木です。 大昔から松は日本人にとっては、ありがたい木です。
松が大量に枯れだすことは、昔の人には大事件です。
必ず、松が大量に枯れだすと誰かが気付き記録に残すはずでしょう。
松枯れの状況が最初に記されたのは。
明治38年39年・39年の長崎市で起こった松枯れ被害だったようです。
おくそくですが、松枯れの原因のマツ材線虫病は、その頃、外国から入ってきたのだと思われます。
鎖国をしていた江戸時代に被害がないのであればその可能性大です。
マツ材線虫病はアメリカに昔からいたようです。
おそらく、外国から入ってきた松材に侵食していたマツ材線虫病広がったのでしょう。
松くい虫の被害が広がった理由。
憶測ですが、松くい虫の被害が広がった理由は、燃料革命があるのだと思います。
昭和30年代は、松は燃料として使われていました。
枯木、枯枝、落葉は、もって来いのな燃料です。
松くい虫によって枯れてしまった松は、切られて燃料として使われ松くい虫もろとも焼かれていたのだと思います。
マツ材線虫とカミキリ虫は焼かれて灰になったのだと。
松くい虫の退治のためではなく。燃料として焼かれていたのだとおもいます。
そこで、燃料の主役がかわってきます。
石炭、石油の登場です。
松を燃やさなくても別の燃料を燃やすようになってきました。
だから、松くい虫にやられた枯れた松も多く放置され、どんどん松くい虫とカミキリ虫が増えっていったのでしょう。